2019年6月26日水曜日

毛沢東同志が上海での幹部会議でおこなった講話である。  さる三月

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ブルジョア右派の攻撃を撃       (一九五七年七月九日)  これは、毛沢東同志が上海での幹部会議でおこなった講話である。  さる三月、わたしはここで党内の一部の幹部と話をしたことがある。そのときから数えて、百日になる。この百日のあいだに、時局は大きく変わった。われわれがブルジョア右派と一戦を交えたので、人民の自覚は高まり、それもかなり大幅に高まった。当時、われわれはすでにこれらのことを予想していた。わたしはここでも話したことがあるが、人の批判がはじまると、つまり火が燃えだすと、熱くないはずはなかろう。だが、そこは頭の皮を厚くしてもちこたえなければならない。人間のこの部分を頭といい、頭には皮があって、頭皮という。頭皮を厚くしてもちこたえるとは、つまり人に批判されたら、頭の皮を厚くして耳をかたむける、ひとしきり聞いたあと、それに分析をくわえ、回答する、正しいものであれば受けいれるが、まちがっているものであれば批判をくわえる、ということである。  全世界にしろ、わが中国にしろ、多数の人はよい人である、ということを、われわれはつねに信じなければならない。多数の人というのは、五一パーセントの人ではなく、九〇パーセント以上の人のことである。わが国の六億の人口のうち、労働者、農民がわれわれの基本的な大衆である。共産党のなかでも、青年団のなかでも、民主政党のなかでも、学生と知識分子のなかでも、つねに多数の人はよい人である。かれらの心は、狡猾《こうかつ》ではなく、下心も抱かず、つねに善良で誠実である。この点は認めなければならない。これは運動のたびごとに立証されている。たとえば、こんどの運動における学生を例にとってみよう。北京大学には七千人あまりの学生がいるが、右派はわずか一、二、三パーセントにすぎない。一、二、三パーセントというのは、どういうことか。しばしば騒ぎをおこし、おさまりがつかないほど騒ぐかたくなな骨幹分子は、終始五十数人しかおらず、一パーセントにも満たない。ほかの一、二パーセントはかれらに喝采をおくり、かれらを支持する連中である。  火をつけて身を焼くのは、なまやさしいことではない。ここの一部の同志に、火を思いきってつけなかったことを後悔しているものがいると聞いたが、わたしから見れば、上海での火のつけ方はまあまあであった。ただ、多少不十分で、いささかもの足りない。早くからこんなけっこうなことと知っていたら、思いきって火をつけただろうに。毒草を伸びさせ、妖怪変化《ようかいへんげ》を登場させればよいのだ、なにを恐れることがあろう。さる三月に、わたしは恐れるなと話したことがある。わが党内の一部の同志は、まさに天下大乱を恐れているのである。わたしに言わせれば、これらの同志は、誠心誠意、党と国につくしてはいるが、ただ大きな局面が目に入らず、大多数の人、すなわち九十数パーセントの人がよい人だというこどに思いをいたしたことがないのである。大衆を恐れてはならない、かれらはわれわれと共にあるのだ。かれらはわれわれをののしることはあっても、拳骨《げんこつ》をくらわすようなことはしない。右派はごく少数にすぎず、さきほど例にあげた北京大学では、わずか一、二、三パーセントである。これは学生についていっているのである。教授、助教授についていうなら、様子がすこしちがって、右派は約一〇パーセントになろう。左派も一〇パーセントくらいいる。両者は伯仲している。中間派は約八〇パーセントを占めている。なにを恐れることがあろうか。われわれの一部の同志はすこしこわがり屋で、やれ家が倒れるの、天がくずれ落ちるの、と恐れている。昔から「杞人《きじん》、天を憂ふ」〔1〕といって、天がくずれ落ちるのを恐れるのは、かの河南人だけである。かれを除いて、天がくずれ落ちるのを恐れた人はこれまでいなかった。家についていうなら、この建物は倒れることはないとおもう。建てて間もないものが、どうしてそう簡単に倒れようか。  要するに、どこであろうと、九十数パーセントの人はわれわれの友人、同志なのだから、恐れる必要はない。どうして大衆を恐れるのか。大衆を恐れるのは、筋の通らない話だ。指導的人物とはどういう人間か。組長、班長、支部書記、学校の校長、党委員会書記などは、みな指導的人物であり、柯慶施同志もそうであり、わたしもその一人に数えられる。われわれのような人間はとにかくすこしは政治的資本をもっている。つまり人民のためにいくらか仕事をしてきた。いま、人びとは火をつけてわれわれを焼いているのであるが、その九〇パーセント以上は、われわれの同志が焼かれてよくなるように望んでいるのである。われわれのどの同志にも、なんらかの欠点がある。欠点のない人がどうしてありえようか。「人は聖賢にあらず、孰《たれ》かよく過《あやま》ち無からん」といっているように、どうしてもいくらかは誤ったことを話し、誤ったことをやる、つまり官僚主義といったような誤りを犯すものである。しかも、往々にして無意識のうちに犯すのである。  定期的に「火をつけ」なければならない。今後どうやればよいか。一年に一回焼くか、それとも三年に一回焼くか、諸君はどちらがよいとおもうか。わたしの見るところ、少なくとも閏年《うるうどし》、閏月がめぐってくるように、三年に一回、五年で二回、一つの五ヵ年計画の期間に少なくとも二回やるべきである。孫悟空は大上老君の八卦炉《はっけろ》のなかで鍛えられてさらに強くなった。孫悟空はたいそう手ごわい人物ではないか。この「斉天大聖」と呼ばれているものでさえ、八卦炉のなかで焼かれなければならなかったのだ。われわれは鍛錬するというではないか。鍛とは鉄槌で打つこと、錬とは高炉で鉄を精錬し、平炉で鋼を精錬することである。鋼は精錬されたあと、うち鍛えなければならない。いまではスチームハンマーでうち鍛えている。それはものすごいものだ。人間も鍛錬しなければならない。一部の同志は、鍛錬に賛成するかと聞かれると、それには大賛成で、「わたしには欠点があるから、ぜひ鍛錬したいとおもっている」という。鍛錬する必要があると、だれもがいっている。ふだん鍛錬を口にするのは、たいへん気楽ではあるが、いざほんとうに鍛錬することになり、ほんとうにスチームハンマーでうち鍛える段になると、腰を抜かし、 逃げだしてしまう。こんどの運動はひとつの鍛錬にほかならない。一時期、天地が暗くなり、日月も光が失せた。二つの風が吹いてきたのだ。一つは大多数のよい人で、かれらは大字報をはり、共産党に欠点があり、たださなければならないといっている。もう一つはごく少数の右派で、かれらはわれわれを攻撃している。両者の進攻の方向は同じである。だが、多数の人の進攻のほうは当然のことであり、それは正しい。それはわれわれにとって一種の鍛錬である。右派の進攻も、われわれにとっては一種の鍛錬である。ほんとうに鍛錬されるという点でいえば、今回はやはり右派に感謝しなければならない。わが党にたいし、広範な大衆にたいし、労働者階級、農民、学生、および民主政党にたいして、右派はもっとも大きい教育をあたえてくれた。どの都市にもいくらか右派がおり、これらの右派はわれわれを打倒しようとしている。いまは、われわれがこれらの右派を包囲討伐しつつある。  われわれの革命は人民の革命であり、プロレタリア階級の指導する六億人民の革命であり、人民の事業である。民主主義革命は人民の事業であり、社会主義革命は人民の事業であり、社会主義建設は人民の事業である。それでは、社会主義革命と社会主義建設はよいものであるかどうか。成果があがっているかどうか。成果が主か、それとも誤りが主か。右派は人民の事業の成果を否定している。これが第一である。第二は、どちらの方向に向かって歩むかである。こちらに向かって歩むなら社会主義であり、あちらに向かって歩むなら資本主義である。右派は、この方向を逆転して、資本主義の道を歩もうとしているのである。第三は、社会主義をやるには、だれが指導するかである。プロレタリア階級が指導するのか、それともブルジョア階級が指導するのか。共産党が指導するのか、それともブルジョア右派どもが指導するのか。右派は、共産党の指導はいらない、といっている。わたしは、今回はひとつの大弁論、つまりこの三つの問題をめぐる大弁論であるとおもう。弁論してみるのはいいことだ。これらの問題についてまだ弁論したことはなかったのだ。  民主主義革命は長期にわたる弁論を経たものである。清朝末期から辛亥革命、袁世凱反対、北伐戦争、抗日戦争にいたるまで、いずれも弁論を経てきたものである。日本に抵抗すべきかどうか。ある一派は唯武器論者で、中国は鉄砲が足りないから、抵抗できない、といった。もう一派は、恐れることはない、人間が主であって、兵器は人間に及ばないから、やはり戦える、といった。それにつづく解放戦争も弁論を経ている。重慶での交渉も、重慶での旧政治協商会議も、南京での交渉も、弁論であった。蒋介石はわれわれの意見にも人民の意見にもいっさい耳をかさず、戦おうとした。戦った結果、かれは敗れた。したがって、あの民主主義革命は弁論を経たものであり、長期にわたる精神的準備を経たものであった。  社会主義革命は急速にやってきた。六、七年で、資本主義的所有制と小生産者の個人的所有制の社会主義的改造は基本的になしとげられた。だが、人間の改造は、すこしはおこなわれたが、まだまだ足りない。社会主義的改造には二つの面がある。一つは制度の改造であり、もう一つは人間の改造である。制度には、所有制だけではなく、権力機関、イデオロギーを主とする上部構造もふくまれる。たとえば新聞、これはイデオロギーの範疇《はんちゅう》に属している。ある者は、新聞には階級性がなく、新聞は階級闘争の道具ではない、といっている。こういう言い草はまちがっている。少なくとも帝国主義が消滅されるまでは、新聞をはじめさまざまなイデオロギー的なものは、みな階級関係を反映するものである。学校教育や文学芸術もイデオロギーであり、上部構造であり、階級性をもっている。自然科学は二つの面にわかれており、自然科学そのものについていうならば、階級性はないが、だれがそれを研究、利用するかという点では、階級性がある。大学で観念論がいちばん多いのは、一つは中国文学科、もう一つは歴史学科である。また、新聞をつくる人たちに、観念論がいちばん多い。諸君は社会科学にだけ観念論が多いと考えてはならない。自然科学にも観念論がたくさんある。自然科学をやる人たちの多くは、世界観が観念論的である。水はどういうもので構成されているのかということでは、かれらは唯物論者で、水は二種類の元素で構成されているといった現実の状況に即した態度で事をはこぶ。だが、社会をどのように改造するかということになると、かれらは観念論になる。われわれのいう整風は共産党を整頓してよくするためであるが、かれらのなかの一部の者は、共産党を消滅するのだといっている。今回は、こういう状況が暴露された。  右派が攻撃をかけてきたとき、われわれは、聞くだけで発言しないという政策をとった。数週間ものあいだ、頭の皮を厚くし、耳をそばだてて聞くばかりで、一言もいわなかった。しかも、そのことを青年団員にも共産党員にも支部書記にも支部委員会にも知らせず、かれらを入り乱れて戦うようにさせ、めいめいに考えをさめさせた。学校の党委員会や総支部にも一部の敵がまぎれこんでおり、現に、清華大学党委員会の委員のなかには敵がいた。こちらが会議をひらくと、かれはすぐ敵側に知らせた。これを「蜂起分子」という。蜂起将軍というのがいたではないか。いまのは「蜂起文人」である。このことには、敵と味方の両方が喜んだ。敵側からすれば、共産党員が「蜂起」し、共産党が「崩壊」しようとしているのを見て、とても喜んだのである。今回はどのくらい崩壊したか。上海はいざ知らず、北京の学校の党員はおよそ五パーセント崩壊し、青年団員はもうすこし多く、一〇パーセント、あるいはそれよりすこし多く崩壊したかもしれない。こうした崩壊は、至極当然というものだ。一〇パーセント、二〇パーセント、二〇パーセント、あるいは四〇パーセントでもよい、要するに、崩壊したら、わたしはたいへんうれしい。頭がブルジョア思想や観念論でこり固まっていて、共産党や青年団のなかにもぐりこんだ連中は、名目上は共産主義といっても、実際には共産主義に反対する者あるいは動揺分子なのである。したがって、われわれの側からしても、「蜂起」する者を見たら、やはりうれしいのである。これまで党の粛清、団の粛清をこれほど徹底的にやったためしがあるだろうか。連中が自分で出ていったので、われわれは粛清する必要がなくなったのである。しかし、いまや状況が変わり、逆転した。われわれが右派を包囲し、右派とつながりをもってはいるが右派でない多くの人が立ち上がって暴露すると、連中は「蜂起」しなくなった。いまでは右派の立場は苦しくなっており、その一部がこちら側へ蜂起している。さる三月、わたしがここで話をしたあと、わずか百日で、時局にこれほど大きな変化がおきたのである  こんどの反右派闘争の性質は、主として政治闘争である。階級闘争にはいろいろな形態があるが、こんどのは軍事闘争でも経済闘争でもなく、主として政治闘争である。思想闘争の要素があるかどうか。それはある。だが、おもな要素は政治闘争であるとわたしはおもう。思想闘争は主としてつぎの段階で、おだやかな微風細雨の方法でやらなければならない。共産党と青年団の整風は、思想闘争である。いままでより一歩高めて、真にマルクス主義を学ばなければならない。まごころこめて互いに助けあわなければならない。どういう欠点があるかというと、主観主義がすこしあるのではなかろうか。官僚主義がすこしあるのではなかろうか。われわれはこの数ヵ月のあいだ、まじめに頭で考え、すこしノートでもつくって、マルクス主義の水準、政治水準、思想水準を一歩高めなければならない。  右派にたいする反撃は、あと数十日、あるいはひと月ぐらいかかるかもしれない。右派の言論をこのように新聞に、今年一年載せ、来年一年載せ、再《さ》来年また一年載せるというように、いつまでも載せるとなると、それでは困る。右派の数は知れており、その言論をほとんど載せてしまったし、載せるものはそんなにあるわけではない。今後は、ああいう形で載せたり、こういう形で載せたり、あれば載せ、なければ載せない。七月はやはり右派にたいする反撃で緊迫する月だ、とおもう。右派は疾風暴雨が大好きで、おだやかな微風細雨の方法が大嫌いである。われわれのほうは微風細雨を提唱しているではないか。ところが、かれらは、微風細雨だと、梅雨《つゆ》が毎日のように降って、稲の苗が腐り、飢饉になるから、疾風暴雨のほうがましだ、というのだ。諸君の上海には「烏《からす》、『昼』に鳴く」という文章を書いた者がいるではないか。あの「カラス」がこの議論をもち出したのである。かれらはさらに、共産党は公平でない、以前われわれをやっつけたときは疾風暴雨の方法をとったが、こんど自分自身をたたくときは微風細雨の方法をとっている、という。実際は、われわれが以前、胡適、梁漱溟批判をふくむ思想改造をやったとき、わが党内ではいずれも微風紬雨でやれという指示を出しているのである。世の中の事がらとは紆余《うよ》曲折しているものである。たとえば、道を歩くにしても、つねに曲がりくねって歩くものだ。諸君は莫干山にいったことがあるだろうか。登りも下りもつづらおりである。社会の運動は螺旋状を描きながら前進するものである。いまは、手をゆるめることなく右派をさらに摘発しなければならず、やはり疾風暴雨でやる。これは、かれらが疾風暴雨で襲ってきたからで、われわれがかれらに報復するようなものである。このときになって、右派ははじめて微風細雨のよいところがわかるのだ。溺れかかっているから、草一本でも見ればつかもうとする。黄浦江でいまにも溺死しようとしている人のように、たとえ一本のワラであろうと、それをつかもうとする。いまでは、例の「カラス」も微風細雨をひじょうに歓迎しているとおもう。いまは暴雨の季節だが、七月がすぎ、八月になれば微風細雨でやってもよい。というのは、そのときはもうあまり摘発するものがないからである。  右派はたいへんよい反面教師である。わが中国では、従来からそうであるように、正面教師もいれば、反面教師もいる。人間には正反両面の教育が必要である。日本帝国主義は、われわれにとって一番すぐれた反面教師であった。以前にはまた清朝政府あり、袁世凱あり、北洋軍閥あり、のちには蒋介石ありで、いずれもたいへんよい反面教師であった。共産党が正面教師になるだけでは足りず、かれらがいなかったら、中国人民は目ざめることができなかったであろう。いまもそうである。われわれの言っているいろいろなことを、かれらは聞かない。聞かないというが、どういう人が聞かないのだろうか。数多くの中間派の人びと、とりわけ右派が聞かないのである。中間派の人びとは半信半疑である。右派はまったく聞こうとしない。多くのことはかれらに話してあるのに、かれらはそれを聞かないで、別のことをやっている。たとえば、われわれは「団結――批判――団結」を主張しているが、かれらはどうしても聞かない。われわれは反革命粛清では成果が主であるといっているが、かれらはそれも聞かない。われわれは民主集中制が必要であり、プロレタリア階級の指導する人民民主主義独裁が必要であるといっているが、かれらはやはり聞かない。われわれは社会主義諸国および平和を愛する全世界の人民と団結する必要があるといっているが、かれらはそれも聞かない。要するに、これらのことはみな話したことがあるのに、かれらはそのいずれも聞かないのである。もう一つ、かれらがとくに聞こうとしないのは、毒草は取りのぞかなければならないということである。妖怪変化は、出てこさせておいて、これを展示する。展示すれば、妖怪変化はよくないから打倒しよう、とみんなが言うようになる。毒草は、伸びさせておいて、それを取りのぞく、取りのぞいたものは肥料にすることができる。これらのことは話したことがないだろうか。話したではないか。それでも毒草はやはり出てくる。農民は毎年のようにそれらの草に話しかけ、つまり一年に何回か取りのぞいているが、それらの草はぜんぜん聞こうとせず、やはり伸びてくる。一万年取りのぞいても、草はやはり伸びてくるし、一億年たってもやはり伸びてくる。右派は取りのぞかれるのを恐れない。なぜなら、わたしが話をしたときは、草を取りのぞかなければならないと言っただけで、実際にはやらなかったからである。しかもかれらは、自分は毒草ではなくて香り高い花であるから、取りのぞかれるべきではない、毒草とはわれわれのような者であって、これは取りのぞかれるべきである、と考えているからである。かれらこそ取りのぞかれるべきものであるということに、かれらは思いもおよばないのである。  いまはほかでもなく、わたしが上にのべた三つの問題について弁論している。社会主義革命が急速にやってきたので、過渡期における党の総路線はまだ十分に弁論されておらず、党内でも社会でも十分に弁論されていない。牛が草を食《は》むように、まずするすると呑みこんで胃袋におさめ、そのあとでゆっくりと反すうするというぐあいである。われわれは制度の面、すなわち、まず生産手段所有制の面で、つぎは政治制度にせよイデオロギーにせよ、上部構造の面で、社会主義革命をすすめたが、十分な弁論を展開しなかった。今回、新聞や座談会や大会や大字報を介したのは、弁論を展開させるためである。  大字報はよいものであって、きっと後世に伝えられていくとおもう。孔子の『論語』は伝えられてきたし、『五経』『十三経』も『ニ十四史』も伝えられてきた。この大字報が伝えられていかないことがあろうか。かならず伝えられていくとおもう。たとえば、将来、工場で整風をするとき、大字報が必要であるかどうか。大字報を利用したらよい、それも多ければ多いほどよいとおもう。大字報には階級性がなく、それは言語に階級性がないのと同様である。口語には階級性がない。われわれのような人間が演説するときは口語をつかうし、蒋介石も口語をつかう。いまでは、「学びて時にこれを習《なら》う、また説《よろこ》ばしからずや」「朋《とも》遠方より来たるあり、また楽しからずや」のような文語はつかわなくなった。プロレタリア階級は口語で話をするし、ブルジョア階級も口語で話をする。プロレタリア階級は大字報を利用できるし、ブルジョア階級も大字報を利用できる。われわれは、多数の人がプロレタリア階級の側に立っている、と信じている。だからこそ、大字報という道具は、プロレタリア階級に有利で、ブルジョア階級に不利なのである。一時期、つまり二、三週間、天地が暗くなり、日月も光が失せて、ブルジョア階級に有利であるかのようにみえた。われわれが頭の皮を厚くしてもちこたえると言ったのは、夜も眼れず、飯ものどを通らなかったあの二、三週間のことである。諸君は鍛錬を口にしているではないか。数週間眠れず、飯がのどを通らなくなる、それがつまり鍛錬である。なにも高炉のなかにおしこんで焼くというわけではない。  数多くの中間派の人びとがいささか動揺したが、これもよいことである。動揺することによって、かれらは経験をつんだ。中間派の特徴は動揺にほかならない。そうでなければ、なぜ中間派といえようか。こちらはプロレタリア階級、あちらはブルジョア階級、そのほかに多くの中間派がおり、両端は小さく中間が大きい。だが、中間派は結局のところよい人であり、かれらはプロレタリア階級の同盟軍である。ブルジョア階級も、同盟軍としてかれらを獲得しようとし、一時期かれらはそのようにもみえた。というのは、中間派もわれわれを批判したからである。しかし、その批判は善意のものであった。右派は、中間派がわれわれを批判したのを見て、攪乱《かくらん》にのりだした。諸君の上海では、王造時、陸詒《ルーイー》、陳仁炳《チェンレンピン》、彭文応だとか、それに呉茵《ウーイン》などといった右派の人物が出てきて攪乱した。右派が攪乱すると、中間派はどうしていいかわからなくなってきた。右派の始祖は章伯鈞、羅隆基、章乃器で、その発源地はいずれも北京である。北京というところは混乱すればするほどよく、とことんまで混乱するほどよい。これは一つの経験である。  いま大字報のことにふれたが、これは方法の問題であり、どういう形でたたかうかの問題である。大字報はたたかう武器の一つであって、小銃、ピストル、機関銃といった軽火器のようなものである。飛行機、大砲にあたるのはおそらく『文匯報』のたぐいであろう。『光明日報』もそうであり、ほかのいくつかの新聞もそうである。ある時期、共産党の機関紙も右派の言論を載せた。われわれは、右派の言論はすべてそのまま載せるように、という命令を出した。われわれはこういう方法や、その他のさまざまな方法を活用して、広範な大衆に正反両面の教育を受けさせたのである。たとえば『光明日報』『文匯報』の社員は、こんどひじょうに深い教育を受けた。かれらはこれまで、どういうものがプロレタリア階級の新聞で、どういうものがブルジョア階級の新聞であるのか、またどういうものが社会主義の新聞で、どういうものが資本主義の新聞であるのか、はっきりしなかった。一時期、かれらの右派指導者は新聞をブルジョア階級の新聞にしてしまった。これらの右派指導者はプロレタリア階級と社会主義を憎んでいる。かれらは学校をプロレタリア階級の方向へ導くのではなく、ブルジョア階級の方向へ導こうとした。  ブルジョア階級および旧社会から来た知識分子は、改造する必要があるかどうか。かれらは改造をたいへん恐れており、改造すると「劣等感」とでもいうものが生まれ、改造すればするほど、劣等感がますます強くなるという。このような言い方はまちがっている。改造すればするほど自尊心が強くなるというべきである。なぜなら、改造する必要があると自覚したからには、それは自尊心でなければならないのだ。だが、その人たちの「階級的自覚」はたいへん高く、自分自身は改造する必要がないと考え、逆にプロレタリア階級を改造しようとしているのである。かれらはブルジョア階級の姿に照らして世界を改造しようとし、プロレタリア階級はプロレタリア階級の姿に照らして、世界を改造しようとする。わたしから見れば、多数の人、つまり九〇パーセント以上の人が躊躇《ちゅうちょ》、思案、不本意、動揺といった過程を経て、結局は改造したいという方向にむかうことになるとおもう。改造すればするほど、その必要をおぼえるはずである。共産党でさえ改造しており、整風とは改造にほかならず、将来もやはり整風をしなければならない。こんどの整風を終えたるもうしないのだろうか。こんどの整風で官僚主義が一掃されるだろうか。二、三年もたてば、すっかり忘れてしまい、例の官僚主義はふたたびやってくる。人間には忘れっぽいという欠点がある。だから、ある期間がすぎると整風しなければならない。共産党でさえ整風を必要としているのに、ブルジョア階級および旧社会から来た知識分子は整風を必要としないのか、改造を必要としないのか。かれらこそ、いっそう整風を必要とし、改造を必要とするのだ。  いま、各民主政党は整風をしているではないか。社会ぜんたいが整風をする必要がある。作風を整頓して、どこがわるいのか。しかも、爪の先みたいなことについて整頓するのではなく、大きな事がら、路線問題について整頓するのである。いま、民主政党の整風は重点を路線問題においており、ブルジョア右派の反革命路線をやっつけている。そのようにやるのは正しいとおもう。いま、共産党の整風の重点は、路線問題にはなく、作風問題にある。しかし、民主政党ではいま、作風問題は二の次で、主としてどの路線をおしすすめるかの問題にある。章伯鈞、羅隆基、章乃器、陳仁炳、彭文応、陸詒、孫大雨らの反革命路線をおしすすめるのか、それともほかの路線をおしすすめるのか。なによりもまずこの問題をはっきりさせなければならず、わたしの話したつぎの三つの問題をはっきりさせなければならない。つまり、社会主義革命と社会主義建設の成果、数億の人民のやった事は果たしてすばらしいかどうか、社会主義の道を歩むのか、それとも資本主義の道を歩むのか、社会主義をやるからには、どの政党がその指導にあたるべきか、章・羅同盟か、それとも共産党か、ということである。この問題でひとつ大弁論を展開し、路線問題をはっきりさせようではないか。  共産党にも路線問題があり、例の「蜂起分子」、共産党と青年団のなかの右派についていえば、これは路線問題なのである。現時点では、教条主義はまだ形成されていないから、路線問題ではない。わが党の歴史に、教条主義路線の問題が数回おきたのは、それが制度、政策、綱領を形成していたからである。現在の教条主義はまだ制度、政策、綱領を形成していないが、すこしこちこちのところがある。しかし、いまは鉄槌で打ち、火で焼いたので、いくらか柔らかくなっている。各機関、各学校、各工場の指導者は「二階から降りて」いる①ではないか。かれらはあの国民党作風や旦那気取りをすて、役人風や旦那風を吹かさなくなった。協同組合の主任は大衆といっしょに田畑を耕し、工場の責任者や党委員会の書記は職場へいって労働者といっしょに労働して、官僚主義がずいぶん少なくなった。このような整風は将来もしなければならない。大字報をはったり、座談会をひらいたりして、改めるべきもの、批判すべきものを、問題ごとに分けて解決しなければならない。もう一つは、いままでより一歩高めて、いくらかマルクス主義を学ぶことである。  中国人の大多数はよい人間であり、わが中華民族はりっぱな民族である、とわたしは信じている。われわれのこの民族はまことに道理をわきまえており、情熱にあふれ、聡明で勇敢である。わたしの希望するところは、集中と統一もあれば生きいきと活発でもあり、すなわち、集中もあれば民主もあり、規律もあれば自由もある、という局面をつくり出すことである。一方があるだけではなく、両方ともあるべきであり、規律と集中があるだけで、人の口をふさぎ、ものを言わせず、もともと正しくないものも批判させないというのではいけない。発言するよう提唱すべきであり、生きいきと活発でなければならない。およそ善意から批判的意見を出す人は、言う者に罪なしで、どんなに鋭くても、どんなにののしっても、罪に問われたり、やっつけられたり、小さい靴をはかせられたりすることはない。小さい靴をはくのはいい気持ちのするものではない。いまはどういう人に小さい靴をはかせるのか。いま、われわれは右派にはかせるのである。右派に小さい靴をはかせて少々窮屈な目にあわせるのは必要である。  大衆を恐れてはならず、「大衆と共にあるべきである。一部の同志は水を恐れるように大衆を恐れている。諸君は水泳をするだろうか。わたしはいたるところで水泳を提唱している。水とはすばらしいものである。毎日一時間、かかさず、きょうも明日もと習いさえすれば、百日で泳げること受け合いである。第一は先生を頼んではならず、第二は浮き袋をつかってはならない。浮き袋をつかうと、おぼえられない。「だけど、命が大切なんだよ。泳げないんだ。」それなら、最初は浅いところで泳いだらいい。百日でおぼえるというなら、浅いところでは三十日も習えばおぼえるだろう。おぼえてしまえば、長江でも、太平洋でも同じことで、要するに水は水である。プールなら溺れてもすぐひっばり上げられるから、死なないですむが、長江で泳いだらたいへんだ、流れがとても急で、溺れたら探しようがないではないか、と言う人がいる。こういう理屈で人をおどかすのである。わたしに言わせれば、これは素人《しろうと》のいうことだ。われわれの水泳健児、プールでの教員や教授は、もとは長江で泳ぐ勇気がなかったのが、いまではその勇気をもつようになっている。諸君のこの黄浦江でも、いまでは泳ぐ人がいるではないか。黄浦江、長江はまったく金のかかるないプールである。たとえて言うならば、人民は水のようなもの、各級の指導者は泳ぐ人のようなものであり、泳ぐ人は水から離れてはならず、それに逆らってはならず、沿うようにしなければならない。大衆をののしってはならない。大衆をののしることはできないのだ。労働者大衆、農民大衆、学生大衆、民主政党の大多数の成員、知識分子の多数をののしってはならず、大衆と対立してはならず、つねに大衆といっしょでなければならない。大衆も誤りを犯すかもしれない。かれらが誤りを犯したとき、われわれはよく道理を話してやり、よく話してやっても聞かなければ、しばらく待ち、機会があればまた話すようにする。だが、われわれは泳ぐとき水から離れないように、かれらから離れてはならない。劉備は諸葛孔明を得て、「魚の水を得たるがごとし」と言ったが、とれはたしかにあったことで、小説だけでなく、史書にも、魚と水の関係のようであったと書いてある。大衆が諸葛孔明であり、指導者が劉備である。一方は指導する人で、一方は指導される人である。  知恵はみな大衆のところからくるものである。わたしはかねてから、知識分子はいちばん知識がない、と言っている。これは端的に言ったまでの話だ。知識分子が威張ってしっぽを立てると、それは孫悟空のよりも長い。孫悟空は七十二たび変身して、ついにしっぽを旗ざおに変えたが、それは長いものであった。知識分子がしっぽを立てると、それこそたいへんだ。「わしは天下第一といえなくても、天下第二といえよう」。「労働者、農民がなんだ。あの無能な『阿斗』にすぎず、字もろくに読めはしない」。しかし、大局の問題は知識分子が決定するのではなく、最終的には勤労者が決定するのであり、しかもそのうちのもっとも先進的な部分であるプロレタリア階級が決定するのである。  プロレタリア階級がブルジョア階級を指導するのか、それともブルジョア階級がプロレタリア階級を指導するのか。プロレタリア階級が知識分子を指導するのか、それとも知識分子がプロレタリア階級を指導するのか。知識分子はプロレタリア階級の知識分子となるべきであり、ほかに活路はないのである。「皮これ存せざれば、毛将《はた》いづくに附かん」〔2〕。以前、知識分子という「毛」は五枚の「皮」にくっ付いていた。つまり五枚の皮にたよって飯を食ってきたのである。一枚目は帝国主義的所有制、二枚目は封建主義的所有制、三枚目は官僚資本主義的所有制である。民主主義革命は三つの大きな山をくつがえすのではなかったか。つまり、帝国主義、封建主義、官僚資本主義を打倒することであった。四枚目は民族資本主義的所有制、五枚目は小生産的所有制、すなわち農民と手工業者の個人的所有制である。以前の知識分子はまえの三枚の皮か、またはあとの二枚の皮に付いており、これらの皮にくっ付いて飯を食ってきたのである。いま、この五枚の皮はまだあるだろうか。「皮これ存せざる」ことになったのである。帝国主義は逃げてしまい、かれらの資産は全部取りもどされた。封建主義的所有制は廃絶されて、土地は農民のものとなり、そのうえ、いまは協同化された。官僚資本主義の企業は国有化された。民族資本主義工商業は公私合営が実行され、基本的には(まだ完全ではないが)社会主義的なものに変わった。腰民と手工業者の個人的所有制は集団的所有制に変わった。もっとも、この制度はいまなお強固ではなく、あと数年たたなければ強固にはならないだろう。この五枚の皮はもうなくなったが、それでもなお「毛」に影響し、資本家に影響し、知識分子に影響しているのである。かれらの班はいつでもそれをおぼえており、夢のなかでも忘れない。旧社会、旧軌道を経てきた人は、どうしてもああいう旧い生活、旧い習慣に木綿を残す。だから、人間の改造は、いっそう時間がかかるのである。  いま、知識分子はどのような皮に付いているのだろうか。共有制の皮に付いているのであり、プロレタリア階級に付いているのである。だれが飯を食わせているのか。労働者と農民にほかならない。知識分子は労働者階級と勤労者に招かれた先生であるが、かれらの子弟に教えるのに主人のいうことを聞かす、自分の考えどおりに八股文や孔子や資本主義といった類《たぐい》のものを教えて、一部の反革命分子を仕立てあげる。これでは、労働者階級は承知せず、きみをやめさせ、来年はもう招聘しなくなるだろう。  百日前、わたしはここで、旧社会から来た知識分子は、もう基礎がなくなり、もとの社会的経済的基礎を失った、つまりあの五枚の皮がなくなったのであるから、新しい皮に付くほかはない、と話したことがある。いま、一部の知識分子は宙ぶらりんの釣瓶《つるべ》みたいな状態にある。かれらは空中を飛び、天にも至らず地にも着かず、である。わたしは、かれらを「梁上の君子」とよぶ。かれらは梁《はり》の上を飛んでおり、古巣へもどろうとするが、そこは空《から》っぽになっていて、つまりあの何枚かの皮がなくなっていて、もどれないのである。古巣がなくなったのに、それでも甘んじてプロレタリア階級に付こうとはしない。プロレタリア階級に付くには、プロレタリア階級の思想を研究し、すこしはプロレタリア階級にたいする感情を抱き、労働者、農民と友人にならなければならない。だが、かれらはそうしない。かれらももとのところが空っぽになったことを知っていながら、それでも未練を残している。われわれはいま、かれらに自覚するよう忠告しているのである。この大批判を経て、すこしは自覚するだろうとわたしはおもう。  中間状態にある知識分子は自覚すべきであり、しっぽをあまり高くあげてはならない。かれらの知識は限られたものである。わたしに言わせれば、こういう人は知識分子でもあれば知識分子でもなく、半知識分子と呼んだほうが比較的妥当である。なぜなら、この諸君の知識はそれしかなく、大きな道理を説くとすぐ誤りを犯すからである。いまは右派の知識分子にはふれない、かれらは反動派なのだ。中間状態にある知識分子の犯す誤りとは、動揺し、方向がはっきりせず、ある期間それを見失うことである。それほど知識があるとしたら、どうして誤りを犯すのだろう。見幕《けんまく》がそれほどすごく、しっぽをそれほど高くあげながら、なぜ動揺するのだろうか。まるで土塀の上に生えた草のように、風に吹かれれば、どちらにもなびく。かれらの知識のそれほどでもないことがわかろうというものだ。この面で、知識が多いのは労働者であり、農民のなかの半プロレタリア階級である。孫大雨の例のしろものなど、かれらは一目見れば、正しくないことがすぐわかる。いったい、どちらの知識がゆたかなのだろうか。やはりあまり字を読めない人のほうがゆたかなのだ。大局を決定し、大方向を決定するときは、プロレタリア階級に頼まなくてはならない。わたし自身、なにか事をはこび、なにか大計を立てるばあい、どうしても労農大衆に聞いてみなければ気がすまず、それが可能かどうか、かれらと話しあい、相談しあい、かれらと接触している幹部とも相談してみる、というような人間である。そうするには、各地をまわらなくてはならない。北京にだけ坐っていてはたいへんなことになる、北京はなにも出ないところなのだ。そこには原料がない。原料はみな労働者、農民のところからもってくるのであり、地方からもってくるのである。中国共産党中央はいわば加工工場のようなもので、これらの原料でものをつくるのである。しかも、うまくつくらなくてはならず、うまくつくらなければ誤りを犯す。知識の源泉は大衆にある。人民内部の矛盾を正しく解決するとはどういうことか。実際にもとづいて事をはこび、大衆路線をおしすすめることにほかならない。とどのつまり、大衆路線の四字につきる。大衆から遊離してはならず、われわれと大衆との関係は、魚と水との関係、泳ぐ人と水との関係のようなものである。  右派にたいしては、一撃のもとにたたきのめすべきかどうか。すこしたたいてやるのは必要なことだ。すこしたたかなければ、死んだふりをするであろう。こういう者を、攻撃もせず、追及もしないでいいだろうか。攻撃は必要だ。しかし、攻撃する目的は、かれらを改心させることにある。われわれがさまざまな方法で手がたく攻撃し、かれらを完全に孤立させるならば、かれらをこちら側にひきいれる可能性がうまれ、たとえ全部といわなくとも、とにかく一部の人はひきいれることができる。かれらは知識分子であり、その一部は高級知識分子であって、こちら側にひきいれたら、役に立つのである。かれらをこちら側にひきいれて、なにがしかの仕事をやらせる。しかも、今回かれらは、反面教師となり、反面から人民を教育して、大いに手助けしてくれたのである。われわれはかれらを黄浦江に放りこむつもりはない。やはり病をなおして人を救うという態度で臨んでいる。一部の者はこちら側に来たがらないかもしれない。孫大雨のような者が、もしひじょうにかたくなで、改めようとしないなら、それまでのことだ。いま、われわれにはやるべき事がたくさんある。もしも毎日のように攻撃し、五十年も攻撃していたら、それはたまったものではない。どうしても改めようとしない者は一部いるが、そういう者は誤りをたずさえて棺桶にはいり、閻魔《えんま》大王に会いに行けばよい。そして閻魔大王に、わたしは五枚の皮を擁護する者で、たいへん「気骨」があり、共産党や人民大衆がわたしを闘争にかけたが、それでも屈服せず、ずっと抵抗してきた、と言えばよい。だが、いまや閻魔大王も代替わりしたことを、知っているだろうか。この閻魔大王は、第一がマルクス、第二がエンゲルス、第三がレーニンである。いま、地獄は二つにわかれており、資本主義世界の閻魔大王はおそらく背のままであろうが、社会主義世界ではいま言った人たちが閻魔大王になっているのである。頑迷な右派は、百年たってもやっつけられるであろう。 〔注〕 〔1〕 『列子』―「天瑞篇」にみられる。 〔2〕 『左伝』―「僖公十四年」にみられる。 〔訳注〕 ① 整風運動のなかで、誤りを犯した指導者が大衆の批判に耳をかたむけ、自己批判をおこなって、大衆の諒解をとりつけることをさす。 maobadi 2011-07-02 17:58 一九五七年の夏季の情勢           (一九五七年七月)  これは、毛沢東同志が一九五七年七月、青島でひらかれた省・市党委員会書記会議の期間に書いた文章である。この会議で配布され、さらに同年八月、党内の指導的幹部に配布された。  わが国の社会主義革命の時期には、反共、反人民、反社会主義のブルジョア右派と人民との矛盾は敵味方のあいだの矛盾であり、食うか食われるかの和解できない敵対性の矛盾である。  労働者階級と共産党に気違いじみた攻撃をかけているブルジョア右派は、反動派であり、反革命派である。そうは呼ばずに、右派と呼ぶのは、一つには中間派の獲得を容易にするためであり、二つには右派を分化させて、一部の右派分子が態度を変え、近づいてこられるようにするためである。  あくまでも態度を変えない一部のブルジョア右派分子は、頑迷《がんめい》派である。かれらが特務にならず、二度と破壊活動をやらないかぎり、かれらにもなんらかの仕事をあたえ、その公民権も剥奪《はくだつ》しないようにする。これは、歴史上の多くの事件で極端な政策をとったためによくない結果をまねいたことを考慮したからである。われわれはもうすこし遠くを見とおすべきである。数十年後にこの事件をふりかえってみれば、われわれがこのようにブルジョア右派分子に対処したことが、プロレタリア階級の革命事業に深い影響と大きな利益をもたらしたことがわかるであろう。  われわれの目標は、集中もあれば民主もあり、規律もあれば自由もあり、意志の統一もあれば、個人の気持がのびのびし、生きいきとして活発でもある、という政治的局面をつくり出し、こうして社会主義革命と社会主義建設を有利にし、困難をわりあい克服しやすくし、わが国の現代的工業と現代的農業をわりあい速いテンポで建設し、党と国家をわりあい強固で、わりあい風波にたえられるようなものにすることである。全般的な課題は、人民内部の矛盾を正しく処理し、敵味方の矛盾を正しく処理することである。方法は、実際に即して事を処理し、大衆路線をとることである。そこから出てくるのは、重要な政治方針についての会議を党員と非党員がいっしょにひらき、整風を公開的におこない、党と政府の多くの誤りや欠陥を新聞紙上で批判するという方法である。民主政党、教育界、報道界、科学・技術界、文学・芸術界、医療・衛生界、工商業界、そして労働者階級、農民階級の各階層、手工業労働者および都市と農村のその他の勤労者は、みな整風と社会主義教育をなん回かにわけて逐次すすめていくべきである。このうち、ブルジョア階級とブルジョア知識分子については、社会主義的改造をうけいれさせるという問題であり、小ブルジョア階級(農民や都市と農村の自営の勤労者)、とりわけ富裕中農についても、社会主義的改造をうけいれさせるという問題であるが、労働者階級と共産党の基本部隊については、作風をととのえるという問題である。これは、性質の異なる二つの社会範陣の問題である。このように異なったものであるのに、なぜ、いずれのばあいにも整風というスローガンをつかうのか。それは、整風というスローガンが多くの人にわりあい受けいれられやすいからである。われわれは、人びとにこういう――共産党と労働者階級でさえ整風をしているのに、きみたちは整風をしなくてもいいのか、と。これで、われわれは完全に主動的な立場に立つ。整風のやり方は、批判と自己批判をおこない、事実をならべて道理をとくのである。整風の目的は、政治方向をただし、思想的水準を高め、仕事のなかの欠陥を改め、広範な大衆を団結させ、ブルジョア右派と社会主義に反対するすべての分子を孤立させ、分化させる方向に、闘争をみちびくことにある。ここでいうブルジョア右派のなかには、共産党や青年団にまぎれこんで、党外、団外の右派分子とまったく同じ政治的態度をとっている者も含まれる。かれらは、プロレタリア階級の革命事業を裏切り、党にたいして気違いじみた攻撃をくわえた。したがって、党と青年団の組織の純潔を守るために、かれらをあますところなく暴露し、除名すべきである。  大衆の多数、まずもって労働者、農民という基本的大衆の多数をあくまでも信頼しなければならない。これがわれわれの基本的な出発点である。工商業界や文化・教育界についてみても、右派が狂気のように攻撃をかけてきたときには、その多くの人が、一時だまされ、動揺もした。だが、数週間後に右派への反撃がくりひろげられると、多くの人はめざめ、こちらの側についてきた。したがって、工商業界や文化・教育界の多数も、最終的にはやはり信頼できる人たちで、改造をうけいれるれるのである。少なからぬ同志は、かつてプロレタリア階級の力を過小に評価し、ブルジョア右派の力を過大に評価するという誤りを犯した。いま、地区、県、区、郷および工場の幹部のあいだにも、まだそのような人がたくさんいるが、味方の側の力を過小に評価したり、敵側の力を過大に評価したりしないよう、よく説得すべきである。農村では、地主、富農が改造されつつあるが、そのうち一部の者はまだ攪乱をつづけているから、かれらにたいする警戒心を高めなければならない。富裕中農についていえば、多数の者は協同組合にとどまりたいと思っているが、少数の者は脱退すると騒ぎたて、資本主義の道を歩もうとしている。われわれは、それぞれ区別して対処すべきである。農村では、階級路線に留意しなければならず、もとの貧農と届農に指導機関で優勢を占めさせる一方、中農との団結にも気をくばらなければならない。わたしは、中央がただちにつぎのような指示を出すことに賛成する。つまり、農村の全住民に大規模な社会主義教育をほどこして、党内の右翼日和見主義思想を批判し、いちぶ幹部の部門本位主義思想を批判し、富裕中農の資本主義思想と個人主義思想を批判し、地主、富農の反革命的行動に打撃をあたえる、ということである。そのおもなほこ先は動揺している富裕中農にむけ、かれらの資本主義思想にたいして理づめの闘争をおこなうのである。これからは、年に一度、確固とした理づめの闘争をおこない、これを区や郷の幹部の弊風(三級組合の整頓と呼応させて、協同組合を一歩一歩うち固めていくようにする。農村でも、まず農民に「鳴放」させる、つまり、意見を出させ、論議をおこなわせる。そして、よい意見はとりいれ、よくない意見は批判する。こうしたことは、地元の幹部が上級から派遣された工作組の協力を得て農村の整風を主宰するという条件のもとで、逐次おしすすめていくべきである。都市とおなじく、農村にもやはり、社会主義か資本主義かという二つの道の闘争がある。この闘争で徹底的な勝利をかちとるには、ひじょうに長い時間がかかる。これは過渡期の全期間にわたる任務である。農村では、勤倹の精神で家計をきりもりすることと、勤倹の精神で協同組合を経営することとをあわせて提唱し、国を愛し、協同組合を愛することと、家庭を愛することとをあわせて提唱すべきである。勤倹の精神で家計をきりもりする問題を解決するには、とりわけ婦人団体の活動に依拠しなければならない。ここ数年間は、年々、現物農業税三百五十億斤《チン》と食糧買付五百億斤をぜひとも確保しなければならず、これより少なくてはならない。ただ、その年の作柄におうじて、なにほどかは調整してもよい。農村では、年々増産し、食糧不足農家が年々減っているから、ここでの食糧販売量も年々減らしていくべきである。都市でも、食糧販売量の多すぎるところでは、やはり適宜に減らしていくべきである。こうしてはじめて、国家の食糧備蓄量を年々ふやし、おこりうべき緊急のさいの必要にそなえることができる。もしも八百五十億斤前後の食糧を確保できないなら、市場の物価にひびき、国民経済計画全般の順調な遂行にひびき、緊急事態に対処するすべもなくなる。これはひじょうに危険なことである。ことしは秋の収穫前に、国家の利益と集団の利益をかえりみない個人主義や部門本位主義にたいする闘争を農村でおこなわなければならない。  反革命分子がいれば、かならず粛清する。処刑者の数は少なくしなければならないが、死刑はけっして廃止せず、大赦もけっしておこなわない。刑期満了で釈放されても、ふたたび罪を犯した者は、ふたたび逮捕して、刑を科する。社会のごろつき、不良、窃盗、殺人、強姦、汚職、公共秩序の破壊、ゆゆしい法規・規律違反などの重罪犯、および公衆が悪質分子だと認めた者は、かならず処罰しなければならない。いま、公安・司法部門の一部の要員は、その職分を放棄して、ほんらい逮捕・処罰すべき者をも逮捕・処罰していないが、これはまちがっている。軽い罪に重い刑を科するのはまちがいだが、重い罪に軽い刑を科するのもまちがいである。当面の危険は後者にある。賭博《とばく》は禁止する。反動的な結社・教団にたいする取り締まりは厳正におこなう。右派学生の頭目には、徹底した批判をくわえるべきであるが、一般には、もとのところで監督、改造し、これを「教師」にすればよい。以上の諸点は過渡期に適用されるもので、省・市・自治区の党委員会が責任をもってこれにあたる。中央の政策・法令にそむかないという条件のもとで、地方の公安・司法、文化・教育部門は、省・市・自治区の党委員会および省・市・自治区の人民委員会の指示にしたがい、それに違反してはならない。  人民内部の矛盾を正しく処理するというのが全般的な課題である。大いに論議して、それになれてしまえば、別に不思議に思わなくなる。人民内部の矛盾について納得し、みんなにはっきり説明し、一部の問題を正しく処理して、効果をおさめ、経験を身につければ、もう恐れることはない。  もう一度くりかえすと、人民内部の矛盾を正しく処理するという問題は、わが党がかねてからとなえてきた大衆路線を歩むということである。共産党員は、事を処理するさい、大衆と相談することに長じていなければならず、どんなばあいでも大衆から遊離してはならない。党と大衆との関係は、水魚のまじわりにたとえられる。もしも党と大衆の関係がうまくいかなければ、社会主義制度をきずきあげることはできないし、たとえ社会主義制度をきすきあげたとしても、それを強固にすることはできない。  軍隊ではすでにいくども整風をおこなって、三大規律・八項注意を実行し、軍事面、政治面、経済面の三大民主を実行し、戦時には分隊に互助組をもうけ、将校と兵士、軍隊と人民が一つにとけあうようにし、人をなぐったり、ののしったりするのを禁止し、逃亡兵を銃殺するのを禁止している。したがって、士気があがり、戦えばかならず勝つ。武器を手にした軍隊でさえこのようにやれるのに、工場、農村、機関、学校で民主を発揚し、圧服の方法ではなく説得の方法で自分の問題(矛盾)を解決することがどうしてできないのであろうか。  帝国主義をも恐れないのに、なぜ民衆を恐れるのか。民衆を恐れて、人民大衆は道理をわきまえないから説得ができず、圧服のほかはないなどと考えるような人は、ほんとうの共産主義者ではない。  整風のなかでは、裏切り者と、法規・規律にひどくそむいた者との二種類の人びとを除いて、すべての党員と青年団員に保護をくわえ、かれらが誤りや欠点を改め、活動の方法を改善し、活動の能力を高め、政治的水準を高め、思想的水準を高めていくよう、誠心誠意、大いに援助する。共産党員は、ぜひとも生気がなければならず、ぜひとも強固な革命的意志がなければならず、ぜひとも困難を恐れずに、不撓《ふとう》不屈の意志でいかなる困難をも克服していくという精神がなければならず、ぜひとも個人主義、部門本位主義、絶対的均等主義、自由主義を克服しなければならない。さもなければ、名実あいともなう共産党員とはいえない。生気をうしない、革命的意志をうしない、またはあくまで誤りをつづけるような一部の人にたいしては、くりかえしいましめても改めないばあい、党委員会がしかるべく処理し、誤りのはなはだしい者には規律上の処分をくわえるべきである。  省・市・自治区党委員会の第一書記(他の書記も同様)は、半年から一年のうちに、一つの協同組合、一つの工場、一つの商店、一つの学校を自分で研究して、その知識を身につけ、発言権を獲得し、それを全般的な活動の指導に役立てるようにすべきである。地区、県、区の党委員会書記もそうすべきである。  今回のブルジョア右派にたいする批判の意義を低く見てはならない。これは、政治戦線と思想戦線における偉大な社会主義革命である。一九五六年の経済戦線(生産手段の所有制)における社会主義革命だけでは、まだ十分でもないし、強固でもない。ハンガリー事件がそれを立証している。さらに政治戦線と思想戦線における徹底した社会主義革命がなければならない。共産党は、民主政党、知識界、工商業界の一部の人(右派)にたいしては、もちろん、指導権をもつことができない、なぜなら かれらは敵だからである。多数の人びと(中間派)にたいしても、指導権は強固ではない。一部の文化・教育部門では、党の指導がまったく確立されていない。われわれは中間派にたいする強固な指導権をうちたてるべきであり、しかもそれをできるだけはやく強化しなければならない。ブルジョア階級とブルジョア知識分子は共産党に心服しておらず、そのなかの右派分子はわれわれと張りあう腹をきめている。張りあって、失敗してからはじめて、かれらは自分たちの時世がすでにすぎ去り、望みがなくなったことを認める。その時になってはじめて、かれらのなかの多数の人びと(中間派および一部の右派)は、しだいにおとなしくなり、自分のブルジョア階級の立場をしだいに放棄して、プロレタリア階級の側に立つようになり、プロレタリア階級にたよって飯を食おうと決意するようになる。死ぬまで改めようとしない少数の者には、その反動的な観点を棺桶のなかまで持っていかせるほかはない。しかし、われわれは警戒心を高めるべきである。機会さえあれば、かれらはまた波風を立てるということを心得ておかなければならない。この闘争は、こんごまだ十年から十五年にわたってつづく可能性がある。うまくやれば、期間をちぢめることもできよう。もちろん、十年から十五年後には階級闘争がなくなるというのではない。世界に帝国主義とブルジョア階級が存在するかぎり、わが国の反革命分子とブルジョア右派分子の活動は、つねに階級闘争の性質を帯びるばかりでなく、またつねに国際的な反動派と呼応しあうことであろう。いまおこなわれている闘争は、ある必要な期間を経たのち、思想面でいっそう深い、徹底したものにするため、あらしのようなはげしい形態から、そよ風のようなおだやかな形態に変えていかなければならない。最初の決定的な戦闘では、これまでの数ヵ月、主としてこの二ヵ月のあいだに、われわれはすでに勝利をかちとった。しかし、全面的な勝利をかちとるには、なおいく月かの時間をかけてほりさげていく必要があり、けっして軽がるしく兵をひいてはならない。もしこの一戦に勝てなければ、社会主義は望めないのだということを心得ておかなければならない。  大弁論は全人民的なもので、革命と建設の仕事は正しいのかどうか(革命と建設の成果が主要なものなのかどうか)、社会主義の道を歩むべきかどうか、共産党の指導は必要なのかどうか、プロレタリア階級の独裁は必要なのかどうか、民主集中制は必要なのかどうか、わが国の外交政策は正しいのかどうかといった重要な諸問題をすでに解決したか、または解決しつつある。このような全人民的な大弁論がおこるのは、きわめて自然なことである。ソ連では二十年代におこったことがあるが(一国で社会主義を建設できるかどうかについてトロツキーらと弁論した〔1〕)、わが国では五十年代の七年目におこった。もしもこの弁論で完全な勝利をかちとれないなら、われわれは前進をつづけることができない。弁論で勝利しさえすれば、わが国の社会主義的改造と社会主義建設は大いに促進されるであろう。これは、世界的な意義をもつ偉大なできごとである。  わが国で現代的工業の基礎と現代的農業の基礎をきずきあげるには、いまから十年ないし十五年はかかるということをわきまえていなければならない。十年ないし十五年かかって社会的生産力がわりあい十分に発展したときにはじめて、われわれの社会主義の経済制度と政治制度はわりあい十分な物質的土台(いまはまだこの物質的土台がきわめて不十分である)を獲得したといえるのであり、われわれの国家(上部構造)は十分強固になったといえるし、社会主義社会は根本的にきずきあげられたといえるのである。いまはまだきずきあげられたとはいえず、まだ十年ないし十五年の時間がかかる。社会主義をきずきあげるためには、労働者階級は、自分じしんの技術幹部の隊列をもたなければならないし、自分じしんの教授、教員、科学者、新聞記者、文学者、芸術家、マルクス主義理論家の隊列をもたなければならない。それは壮大な隊列であるべきで、人数が少なくてはだめである。この任務は、こんご十年ないし十五年のあいだに基本的に達成すべきである。十年ないし十五年以後の任務は、生産力をさらに発展させ、労働者階級の知識分子の隊列をさらに拡大し、社会主義から共産主義に逐次移行するのに必要な条件をととのえ、八回ないし十回の五ヵ年計画を経て経済の面でアメリカに追いつき、追いこすようにすることである。共産党員、青年団員、そして全人民の一人びとりがこの任務をわきまえておかねばならず、学習にはげまなければならない。条件のある者は、技術を学び、業務を学び、理論を学ぶようにつとめ、労働者階級の知識分子の新しい部隊(この新しい部隊のなかには、旧社会の知識分子で真に改造を経たあと、しっかりと労働者階級の立場に立つようになったすべての者が含まれる)をつくりあげていかなければならない。これは、歴史がわれわれに課した偉大な任務である。この労働者階級の知識分子の壮大な新しい部隊がつくりあげられるまでは、労働者階級の革命事業は十分に強固なものとはなりえない。  中央と省・市との二つの段階で整風、右派批判、中間的大衆の獲得という三つの任務の面における経験をつんだことは、大切なことである。この経験をつむと、物事はやりやすくなる。こんご数ヵ月の作礎は、地区と県の段階で経験をつむよう教えていくことである。いまから今年の冬または来年の春までに、区と郷の段階で経験をつむよう一歩一歩と教えていく。都市では、区の段階、基層の工場・鉱山、町内の居民委員会で経験をつむよう教えていく。このようにすれば、視野がぱっとひらけ、多くの人にとって大衆路線がただの空《から》文句ではなくなり、人民内部の矛盾がわりあい解決しやすくなる。  省・市・自治区党委員会の第一書記と全委員は、この偉大な闘争を完全に掌握していかなければならない。民主政党(政治界)、教育界、報道界(すべての新聞と雑誌を含む)、科学・技術界、文学・芸術界、医療・衛生界、工商業界などの政治面、思想面の改造の仕事を完全に自分たちの手に握らなければならない。各省・市・自治区は、それぞれ自分たちのマルクス主義理論家、科学者と技術人材、文学者、芸術家と文学・芸術理論家、新聞、雑誌のすぐれた編集者と記者をもたなければならない。第一初期(他の書記も同様)は、とりわけ新聞、雑誌に注意をはらうべきで、骨惜しみをしてはならず、各人が少なくとも五種類の新聞、五種類の雑誌を読みくらべなければならない。こうしてこそはじめて、自分たちの新聞、雑誌を改善することができるのである。  右派にたいする批判は、民主政党、知識界、工商業界の全体をはげしくゆさぶった。かれらのなかの多数の人びと(中間派)は、社会主義の道とプロレタリア階級の指導とをうけいれる傾向にあることを心にとめておくべきである。このような傾向は、人によって程度の差がある。いまのところ、真に社会主義の道をうけいれ、真にプロレタリア階級の指導をうけいれるというこれらの基本点は、かれらのばあいまだ一つの傾向にすぎないが、こうした傾向があるかぎり、かれらがブルジョア階級の立場から労働者階級の立場への長い道のりの第一歩をふみだしたのだということを知るべきである。もし一年の時間(今年の五月から来年の五月まで)をかけて整風をおこなえば、大きく一歩をふみだすことができるであろう。これらの人は、これまで社会主義革命に参加する心がまえがなかった。この革命は、かれらにとっては突然おこったのである。共産党員のあいだでも、一部の人にとってはそうであった。右派批判と整風は、この人たちや広範な人びとにとって深刻な社会主義教育となるであろう。  大字報は、商店の売り場、農村(区、郷)、小学校、軍隊の大隊と中隊以外のところでは、どこに張ってもよい。わが国の条件のもとでは、これはプロレタリア階級に有利で、ブルジョア階級には不利な闘争形式である。大字報を恐れるのは、いわれのないことである。大学でも、中央、省・市、地区、県の機関や都市の大企業でも、大宇報、座談会、弁論会は、矛盾を暴露、克服し、人びとの進歩を促すうえでの三つのよい形式である。  整風の期間、いかなるばあいにも生産や仕事に支障をきたしてはならない。各地の整風は、所属のすべての単位でいっせいにおこなうのではなく、何回かにわけてすすめるべきである。  はげしい波浪を恐れてはならず、ぐっともちこたえ頑張りとおさなければならない。一つの単位についていうと、ほぼ二、三週間もすれば、峠をこすもので、それからは右派にたいする反撃の新段階にうつることができる。二、三週間のあいだ、各単位の指導者は、右派の気違いじみた攻撃には、ぐっともちこたえて取りあわず、ただ聞くだけで反駁はせず、精神を集中して分析、研究をくわえ、力をあつめて反撃の準備をととのえ、左派を結集し、中間派を獲得し、右派を孤立させる。これは、マルクス主義の一連のすぐれた戦術である。  大鳴大放の段階(整風をやりながら改革する)、右派に反撃をくわえる段階(整風をやりながら改革する)、整頓と改革に重点をおく段階(ひきつづき鳴放する)、各人が文献を学習し、批判と自己点検をおこなって、自己を高める段階 これは、中央、省・市、地区、県のそれぞれの整風でかならずたどらなければならない四つの段階である。このほかに、都市と農村の基層組織でも整風をおこなう。このように整風をおこなえば、全党と全国人民の様相はかならず一新するであろう。  九月の中央委員会総会にそなえて、省・市・自治区段階の党委員会と地区段階の党委員会の第一書記は、八月に一定の時間をさいて、農村における協同組合の整頓、生産、食糧などの諸問題をしらべておいてもらいたい。四十ヵ条の全国農業発展要綱は改正する必要があるかどうかも、各条ごとに検討してもらいたい。 〔注〕 〔1〕 「ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小数程』第九章第五節を参照。 maobadi 2011-07-02 17:59 革命の促進派になろう           (一九五七年十月九日)  これは、毛沢東同志が中国共産党第八期中央委員会第三回拡大総会でおこなった講話である。  こんどの会議はひじょうによかった。省委員会、地区委員会の同志も参加したこのような中央委員会拡大総会は、実際には三クラスの幹部の会議である。それは、方針の明確化、経験の交流、意志の統一に役立つ。  このような会議は、一年に一回ひらく必要があるだろう。わが国のような大きな国では、仕事がひじょうに複雑だからである。昨年一年はひらかなかったため、右よりの傾向があらわれて、えらい目にあった。一昨年はもりあがりをみせたが、昨年はたるみが出た。もっとも、昨年は第八回党大会をひらいたので、時間もなかったのだ。今後、このような会議をひらくときには、少数の県委員会書記や一部大都市の若干名の区委員会書記を参加させてもよい。たとえば、あと百人ぐらいふやしてもよかろう。各省でも、全省的規模の三クラスまたは四クラスの幹部の会議をひらき、一部の協同組合の幹部も参加させて、問題がはっきりするまで話しあうよう提案する。これが第一点である。  第二点、政府についてのべよう。大胆に放をさせ、徹底的に放をさせ、断固として放をさせなくてはならず、大胆に改め、徹底的に改め、断固として改めなくてはならない。われわれには、このような決心がなくてはならない。では、さらに反右派闘争をくわえて、大いに右派に反対する必要があるだろうか。それはくわえなくてもよい。なぜなら反右派は軌道にのっており、一部のところではもう終わっているからである。いまの重点は基層組織で放をさせ、基層組織で改めること、つまり県、区、郷の三段階における鳴放と整頓・改革である。中央と省・市段階でも、一部の部門では、やはり放をさせなければならないが、重点は改めることにある。  ことしは、大衆が二楠の革命形態、大衆闘争の形態を考えだした。大鳴、大放、大弁論、大字報というのがそれである。いま、われわれの革命は、その内容にまことに通した形式をさがしあてた。このような形式は、以前には現われえなかったものである。以前は戦争、五大運動〔1〕、三大改造①といったものなので、このようにじっくりと弁論する形式はうまれえなかった。当時は、じっくりと弁論し、事実をならべ、道理を説き、これを一年間もつづけるというようなことは、許されなかったのである。いまでは、それができる。われわれのさがしあてたこの形式は、現在の大衆闘争の内容に適しており、現在の階級闘争の内容に適しており、人民内部の矛盾に属する問題を正しく処理するのに適している。この形式をしっかりつかめば、これからのことはずっとやりやすくなる。原則的な是非の問題にしろ非原則的な是非の問題にしろ、また革命の問題にしろ建設の問題にしろ、みなこの嶋放、弁論の形式で解決でき、しかも比較的はやく解決することができる。左派は中間派といっしょに鳴放、弁論しているばかりでなく、まったく公然と、右派といっしょに鳴放、弁論し、農村では地主、富農といっしょに鳴放、弁論している。「一党の天下」とか、「共産党は政権をゆずれ」とか、「かごから降りろ」とか、こうした言い草を公然と新聞に載せており、「恥」をかくのを恐れない。われわれはいましがた「かごに乗った」ばかりなのに、右派は「かごから降りろ」と追っている。このような大鳴、大放、大弁論、大字報の形式は、大衆の主動性を発揮させ、大衆の責任感を強めるのにもっとも適している。  わが党には民主の伝統がある。民主の伝統がなければ、このような大鳴大放、大論争大弁論、大字報をうけいれることはできなかったであろう。延安での整風のときは、七、八人が一つのグループになって、数ヵ月間、ノートをつくり、自分で反省し、たがいに助けあった。わたしの接触した人はみな、あのときの整風に感謝しており、主観主義を改めるようになったのはそのときからだと言っている。土地改革のときは、事あるごとに大衆と相談し、意志の疎通をはかった。われわれの軍隊では、中隊長が兵士たちにふとんをかけてやり、まったく平等に、友情をこめて兵士と語りあった。延安での整風、土地改革、軍隊での民主生活、それに「三査三整」〔2〕、そのあとの「三反」「五反」、知識分子の思想改造など、どの過程でも豊富な民主の形式がうまれた。だが、こんどのように大鳴、大放、大論争、大弁論をくりひろげ、そのあと、なおおだやかな方法で相談し、啓発するというこの形式は、いまの時点ではじめてうまれえたのである。このような形式をさがしあてたことは、われわれの事業にとって大いに有益であり、主観主義、官僚主義、命令主義(命令主義とは、人をなぐったり、ののしったりして、強制的にやらせること)を克服すること、指導的幹部が大衆とうちとけるということも、容易にやれるようになった。  われわれの民主的伝統は、ことし、ひじょうに大きな発展をみたが、今後は大鳴、大放、大弁論、大字報という形式を伝えていかなくてはならない。このような形式は、社会主義の民主を十分に発揚するものである。このような民主は、社会主義国にのみ存在しうるもので、資本主義国には存在しえない。このような民主の基礎の上では、集中が弱められるのではなく、集中制がいっそう強固となり、プロレタリア階級独裁がいっそう強化される。なぜなら、プロレタリア階級独裁は広範な同盟軍に依拠しなければならず、プロレタリア階級という一つの階級だけではやっていけないからである。中国のプロレタリア階級は人数が少なく、一千万人余りしかいないため、数億にのぼる貧農、下層中農、都市の貧民、貧しい手工業者、革命的知識分子に依拠してこそ、独裁を実行しうるのであり、さもなければそれは不可能である。いま、われわれがかれらの積極性を発揮させたため、プロレタリア階級独裁は強固になったのである。  第三点、農業について。農業発展要綱四十ヵ条はすでに改正され、まもなく公表されるであろう。同志諸君は、ひとつ、農村で弁論と討議をりっぱに組織してもらいたい。わたしは一部の同志に、地区段階では農業計画をたてる必要があるかどうか、とたずねてみた。すると、やはりその必要がある、という答えであった。区段階ではその必要があるがどうか。やはり必要がある、ということであった。郷ではその必要があるかどうか。それも必要があるとのことであった。協同組合もやはりその必要がある。そうすると、省、地区、県、区、郷、協同組合の六段階で計画をたてることになる。諸君はこの農業企画の作成にしっかり力をいれることを重視してもらいたい。企画と計画は同じことで、つかいなれてしまえば、企画と言ってもよい。あくまでも全面的に企画し、指導を強化し、書記みずからとりくみ、全党で組合づくりにあたるようにしなくてはならない。昨年の後半は、全党で組合づくりにあたるのではなかったし、書記もみずからとりくむことをあまりしなかったようだ。今年は、あくまでもこのようにやらなくてはならない。  企画は、いったい、いつ頃までにできあがるだろうか。何人かの同志にたずねてみたところ、一部の地方ではすでにできあがっており、一部の地方ではまだ完全にはできあがっていないとのことである。いまの重点は皆、地区、県の三段階にあるが、今年の冬または来年の春までにできあがるだろうか。もしできないとしても、来年じゅうにはどうしてもつくりあげなくてはならず、しかも六段階ともつくりあげなくてはならない。なぜなら、われわれには数年の経験があるし、全国農業発展要綱四十ヵ条もほぼできあがっているからである。農業発展要綱四十ヵ条、省の企画、その他各段階の企画は、どれも農村へもっていって討議させなくてはならない。しかし、七つの企画をいちどに討議するのではあまりにも多すぎる、やはり何回かにわけて大衆のなかへもちこみ、鳴放と弁論をさせるようにしなくてはならない。ここで言っているのは長期的な企画のことである。つくったとしても、将来、通さなくなったらどうするか。さらに何年かの経験をつむと、また手直しをしなくてはならない。たとえば「四十ヵ条」は、何年かたてば、やはり手直しをしなくてはならない。手直しをしないというわけにはいかないのだ。わたしの見るところ、だいたい三年に一回小幅の手直しをし、五年に一回大幅の手直しをすることになろう。とにかく、企画のあるほうが、ないよりもましだ。全部で十二年だが、もう二年過ぎたから、あと十年しかない。このうえしっかりと取りくまないでいたら、「四十ヵ条」に定めた二種類の地区の畝《ムー》あたり収量それぞれ四百斤《チン》、五百斤、八百斤という計画目標は、見込みはずれとなるおそれがある。しっかりと取りくめれば、達成されるであろう。  わたしの見るところ、中国はともかく集約農法で飯を食うことである。将来、中国は世界一の多収穫国にならなければならない。ある県ではすでに畝あたり千斤に達しているが、半世紀で二千斤に高めるわけにはいかないだろうか。将来、黄河以北は畝あたり八百斤、淮河以北は千斤、淮河以南は二千斤ということにしたらどうだろう。二一世紀の初頭にこの目標を達成するまでには、まだ数十年あり、あるいはそんなに長い期間を必要としないかもしれない。われわれは集約農法で飯を食うのだから、すこしくらい人間が多くても、食うには困らない。わたしの見るところ、一人平均三畝では土地が多すぎる、将来はわずか何分かの土地があれば十分に食っていけると思う。もちろん、産児制限はやはりやらなくてはならず、子供を生むように奨励しているわけではない。  同志諸君は、農民の食糧消費の実状を調べてもらいたい。勤倹の精神で家計をきりもりし、食糧を節約して、蓄積をはかるよう、提唱しなくてはならない。国に蓄積があり、協同組合に蓄積があり、家庭に蓄積がある――この三種の蓄積があれば、われわれは豊かになる。そうではなくて、のこらず食べてしまったら、どうして豊かになるだろうか。  ことし、豊作であった地方、災害のなかった地方では、すべて蓄積をすこしふやすべきである。豊作で凶作を補うというのは、たいへん必要なことである。ある省の協同組合では、公共積立金(五パーセント)、公益金(五パーセント)、管理費のほかに、生産費が総生産額の二〇パーセントを占めているが、そのうち基本建設費が生産費の二○パーセントを占めている。他の省の同志と相談してみたところ、基本建設費がすこし多すぎるようだと言っていた。きょうの話はみな提案の性質をおびたもので、やれるところでは実行し、やれないところでは実行しなくてもよい、また、各省各県は一律であってはならない。諸君が検討してくれたらよい。これまで、一部の地方では、協同組合の管理費の占める比率が大きすぎたから、一パーセントにまで減らすべきである。管理費とは、協同組合の幹部への手当と事務費をさす。管理費を減らし、農地基本建設費をふやすべきである。  中国人は気概がなくてはならない。われわれは全国の都市と農村のひとりひとりにたいし、遠大な目標をもて、気概がなくてはならぬ、と教育すべきである。大いに食い、大いに飲んで、のこらず飲み食いしてしまう、これを一種の気概と言えるだろうか。そんなものは気概とは言えない。勤倹の精神で家計をきりもりし、遠い先のことまで考えなくてはならない。嫁とりや葬儀など、慶弔の行事とかで豪勢な宴席をもうけるのは、まったく不必要なことである。こうした点で節約をすべきであり、浪費をしてはならない。これはふるい慣習を改めることである。この慣習を改めるには、大鳴大放、もしかすると小鳴小放かもしれぬが、それによってひとつ論争をしなくてはならない。それから、賭博《とばく》というような問題も、以前は禁止しようがなかった。これは、大鳴大放し、論争を経てのみ、はじめて改めることができるのである。ふるい慣習を改めることも企画のなかに組みいれなければならないとおもう。  それから、四害を退治し、衛生に注意するという問題がある。ネズミ、スズメ、ハエ、蚊というこの四つのものを一掃することに、わたしはひじょうに意をそそいでいる。あと十年しかないが、今年は準備し、動員をしておいて、来年の春にやるというわけにはいかないだろうか。ハエはそのころに発生するからである。やはりこういったものを一掃し、国ぜんたいが大いに衛生に注意するようになるべきだとおもう。これが文化というもので、この文化を大いに高めなくてはならないのだ。競争をくりひろげて、ぜひともこれらのものを一掃し、だれもが清潔で、衛生に気をくばるようにならなくてはならない。各省、各県ででこぼこがあってもよい。どのみち、どこが英雄であるかをみるのである。中国は、一にネズミがいない、二にスズメがいない、二にハエがいない、四に蚊がいない、という四無の国にならなくてはならない。  計画出産も、十年の計画をたてるべきである。少数民族地区ではおし広めてはならず、人口の少ない地方でもおし広めてはならない。たとえ人口の多い地方でも、まず試験的にやってみて、逐次おし広め、しだいに全面的な計画出産にもっていくべきである。計画出産については公然と教育しなくてはならず、これまた大鳴大放、大弁論でやるほかはない。人類は出産の面でまったく無政府状態にあり、自分で自分をコントロールすることができない。将来、完全な計画出産を実現しようとしても、もしも社会の力がなく、みんなが同意し、みんながいっしょにやるのでなければ、これはできない相談である。  このほかに、総合計画の問題がある。いまのべたのは農業計画であるが、まだ工業計画、商業計画、文化・教育計画がある。工業、農業、商業、文化・教育の総合計画はぜひとも必要であり、それらをまとめて互いにかみあわせるのである。  試験田をつくる経験は、普遍的におし広める価値がある。それは、県、区、郷、協同組合の指導的幹部がみな小面積の田畑を耕し、高い収穫をあげることができるかどうか、またどのような方法で高い収穫をあげるかを実験するのである。  われわれは、農業技術の素養がなくてはならない。農業をやるのに、技術を学ばなくてはもうだめである。政治と業務は対立面の統一であるが、政治は主要な側面、第一義的な側面であり、政治に無関心という傾向にはぜひとも反対しなくてはならない。だが、政治をやるだけで、技術がわからす、業務がわからないというのも、よろしくない。われわれの同志は、工業、農業、商業、文化・教育のどれをやるにしても、みな技術と業務をすこし学ばなくてはならない。これも十年の企画をたてる必要があるとおもう。われわれの各業種の幹部は、みな技術と業務に精通して、それぞれその道の玄人となり、「紅」でもあり「専」でもあるようにつとめなくてはならない。さきに「専」をめざし、「紅」はあとにするというのは、さきに白く、そのあとで赤くなるということであり、これは誤りである。こうした人は、実際には白いままでおし通そうとするのであり、あとで赤くなるというのは空言にすぎないからである。いま、一部の幹部は、赤いといっても赤くはなく、富農の思想になっている。一部の者は白く、たとえば党内の右派は政治的には白色であり、技術的にも「専」ではない。一部の者は灰色であり、さらに一部の者は桃色である。わが五星紅旗のようにほんとうに真っ赤なのは、左派である。しかし、「紅」であるだけではまだ不十分で、そのうえに業務がわかっており、技術もわかっていなくてはならない。いま、多くの幹部は「紅」であるだけで、「専」ではなく、業務も、技術もわかっていない。右派は、われわれが指導することはできない、つまり、「素人が玄人を指導することはできない」、と言っている。われわれは右派に反駁《はんばく》して、われわれは指導できる、と言った。われわれができるというのは、政治面ではできるということである。技術となると、われわれにはまだわからないところがたくさんある、だが、そうした技術は学びとることができるのである。  プロレタリア階級は、もしも自分じしんの強大な技術陣と理論陣がなければ、社会主義をきずきあげることができない。われわれはここ十年内に(科学計画も十二年で、あと十年ある)、プロレタリア知識分子の隊列をつくらなくてはならない。わが党の党員と党外の積極分子は、プロレタリア知識分子になるよう努力すべきである。各段階、とくに省、地区、県の三段階では、プロレタリア知識分子を養成する計画をたてなくてはならない。さもなければ、時が過ぎても、まだ人が育っていないということになる。中国には、「木を育てるには十年、人を育てるには百年」という古いことばがある。人材養成には百年というが、九十年へらして、十年で養成する。植樹には十年というのは間違いで、南部では二十五年、北部ではもっと長い時間がかかる。むしろ、十年で人材を養成することは可能である。もう八年過ぎたが、あと十年くわえて、十八年もあれば、マルクス主義の思想をもった、労働者階級の専門家の隊列を、ほぼつくりあげることができるとおもう。その後は、この隊列を拡大し、向上させていけばよい。  農業と工業との関係についていえば、もちろん、重工業を中心とし、重工業を優先的に発展させること、この点はまったく問題がなく、いささかもゆらぐことはない。だが、これを前提として、工業と農業を同時に発展させ、現代化した工業と現代化した農業を一歩一歩うち立てていくべきである。以前、われわれはよくわが国を工業国にきずきあげると言ったものだが、実をいうと、これには農業の現代化もふくまれている。いまは、農業の宣伝に重点をおくべきである。この問題については、鄧小平同志もふれている。  第四点、二つの方法について。事をはこぶには少なくとも二つの方法がある。一つはわりあい遅く、わりあいまずく目的を達成する方法であり、もう一つはわりあいはやく、わりあいよく目的を達成する方法である。どちらにも速度の問題、質の問題がふくまれている。一つの方法だけを考えるのではなく、いつも二つの方法を考えなくてはならない。たとえば、鉄道を敷設するにも、路線をきめるには、いくつかの案をつくって、そのなかから一つを選ぶようにしなくてはならない。数種の方法を比べてもよいが、少なくとも二つの方法は比べることである。たとえば、大鳴大放でいくか、それとも小鳴小放でいくか。大字報を使うか、それとも使わないか。この二つの方法のうち、いったい、どちらがよいのかを比べるのである。こうした問題はじつに多いが、ともかく、鳴放がやられていない。北京にある三十四の大学は、どれも鳴放がやられておらず、さわやかに鳴放をやってのけた大学は一つもない。それというのも、これは火をつけて身を焼く問題だからである。鳴放をさせるには、じゅうぶん説得しなくてはならず、しかもかなりの圧力をかけなくてはならない。つまり、公然と呼びかけ、多くの会議をひらき、王手をかけ、「追いつめられて梁山にのぼる」②ようにさせるのである。以前の革命では、あれこれの方法、あれこれの政策のどれを取るかについて、党内に異なった意見がたくさんあったが、けっきょく、わりあい実状に合った政策をとった。このため、抗日戦争と解放戦争の時期は、その前のいくつかの時期に比べて進歩したのである。建設の方針についても、あれこれ考えられるが、やはり、わりあい実状にあった方針をとらなくてはならない。  ソ連の建設の経験はわりあい全面的である。全面的とは、誤りを犯すことがふくまれているということである。誤りを犯さなければ、全面的とはいえない。ソ連に学ぶとは、なにもかも機械的に取りいれることではない。機械的に取りいれるのは教条主義である。われわれは教条主義を批判したあとで、ソ連に学ぶよう提唱した、だから危険はない。延安での整風および第七回党大会のあとで、われわれはソ連に学ぶよう強調したが、これはわれわれにとって損なことではなく、有利なことであった。革命の面では、われわれには経験がある。だが、建設の面では、まだ取りかかったばかりで、八年しかたっていない。われわれの建設は、成果が主要なものだが、誤りがなかったわけではない。誤りは将来も犯すだろうが、それを少なくしたいものである。われわれがソ連に学ぶばあい、その誤りを研究することも含まれていなくてはならない。その誤りの面を研究すれば、あまり回り道をしないですむ。われわれはソ連のたどった回り道を避けて、ソ連の速度よりもさらに速く、ソ連の質よりもさらによくするわけにはいかないだろうか。この可能性をかちとるべきである。たとえば、鋼鉄の生産高について、われわれは三つの五ヵ年計画またはもうすこし長い期間で、二千万トンに達することができるかどうか。努力をすれば、可能である。そのためには、小型の製鋼所を多くつくらなくてはならない。年産三万ないし五万トンの製鋼所、七万ないし八万トンの製鋼所はひじょうに役に立つので、多くつくるべきだとおもう。そのほか、年産三十万ないし四十万トンの中型の製鋼所もつくらなくてはならない。  第五点、昨年の一年間にいくつかのものが一掃された。その一つは、「多く、はやく、りっぱに、むだなく」というスローガンが一掃されてしまったことである。「多く」というのも、「はやく」というのもいらなくなり、「りっぱに」「むだなく」というのも、ついでに一掃されてしまった。「りっぱに」「むだなく」に反対する者はいないとおもうが、「多く」というのと、「はやく」というのとは、人びとが喜ばず、なかには「暴進」だと言う同志もいる。もともと、「りっぱに」「むだなく」というのは、「多く」「はやく」を制約するものである。「りっぱに」とは質がよいこと、「むだなく」とは金をあまり使わないこと、「多く」とは多くのことをやること、また、「はやく」というのも多くのことをやることである。このスローガンはそれ自身を制約している。「りっぱに」「むだなく」は、質もよければ、金もあまり使わないことを求めているため、実際とかけ離れた「多く」や実際とかけ離れた「はやく」はありえないからである。うれしいことには、この会議で一、二の同志がこの問題にふれている。それから、新聞でもこの問題を取りあげた文章を一つ見かけた。われわれのいう「多く、はやく、りっぱに、むだなく」は、実事求是の、実際に即したもので、主観主義的なものではない。われわれはつねにできるかぎり「多く」「はやく」やるよう努力しなければならず、ただ主観主義的な、「多く」「はやく」というのに反対しているだけである。昨年の後半には、一陣の風が吹いて、このスローガンを一掃してしまったが、わたしはそれを回復しようと思っている。その可能性があるかどうか、諸君に検討してもらいたい。  それから、農業発展要綱四十ヵ条も一掃されてしまった。この「四十ヵ条」は、昨年いらい、受けが悪くなったが、いままた「復活」した。  そのほか、促進委員会が一掃されてしまった。以前にも言ったことがあるが、共産党の中央委員会、各級党委員会、それに国務院、各級人民委員会など、とにかく「会」というものが実に多い。そのうち主要なものは党委員会だが、いったい、その性質は促進委員会なのか、それとも促退委員会なのか。促進委員会であるべきが当然である。わたしの見るところ、国民党は促退委員会で、共産党は促進委員会である。昨年のあの一陣の風によって一掃された促進委員会は、いま復活させてもよいのかどうか。もしも諸君が復活させるのに賛成せず、是が非でも促退委員会を組織しようとするなら、つまり、これほど多くの諸君が促退しようというのなら、わたしもお手あげである。しかし、こんどの会議からみると、諸君は促進しようとしており、促退を主張する演説は一つもなかった。われわれを促退させようとしているのは、例の右派の章・羅同盟である。たしかに進め方が速すぎ、不適当である一部のものについては、一時的、局部的な促退があってもかまわない。つまり、一歩ゆずり、一歩ゆるめるのである。しかし、われわれの全般的方針は、なんといっても促進することである。  第六点、プロレタリア階級とブルジョア階級との矛盾、社会主義の道と資本主義の道との矛盾、これは疑いもなく、当面のわが国社会の主要な矛盾である。われわれのいまの任務は、以前と違っている。以前は主として、プロレタリア階級が人民大衆を指導して帝国主義と封建主義に反対することであったが、その任務はすでになしとげられた。では、いまの主要な矛盾はなにか。いまは社会主義革命であって、この革命はブルジョア階級にほこ先を向けており、同時に小生産制度の変革、つまり協同化の実現をはかっている。その主要な矛盾は社会主義と資本主義、集団主義と個人主義、まとめていえば、社会主義と資本主義との二つの道の矛盾である。第八回党大会の決議には、この問題が提起されていなかった。この大会の決議には、主要な矛盾は先進的な社会主義制度と立ちおくれた社会的生産刀との矛盾であるというくだりがあった。このような提起のしかたは間違っている。われわれは七期二中総で、全国的な勝利のあと、国内の主要な矛盾は労働者階級とブルジョア階級との矛盾であり、対外的には中国と帝国主義との矛盾である、と提起したことがある。そのご、公式には提起しなかったが、実際にはそのようにやってきた。革命はすでに社会主義革命に転化しており、われわれが取りくんでいるのは、ほかでもなく社会主義革命というこの事業である。三大改造は社会主義革命であり、主として生産手段所有制の面における社会主義革命であるが、これはもう基本的にはなしとげられた。それは先鋭な階級闘争であった。  昨年の後半に階級闘争の緩和をみたが、それは意識的にすこし緩和させたのである。ところが、ちょっと緩和させると、ブルジョア階級、ブルジョア知識分子、地主、富農および一部の富裕中農がわれわれに攻撃をかけてきた。これがことしの出来事である。われわれがちょっと緩和させると、かれらは攻撃してくる。それもよかろう、われわれは主動権をとれる。『人民日報』の社説がのべているように、「木 静まるんと欲すれども風やまず」〔3〕である。かれらは風を吹かせてくるのだ。同級かの台風を吹かせてくる。それならよかろう、われわれは「防風林帯」をつくるまでだ。これが反右派であり、整風である。  整風には二つの任務がある。一つは反右派で、それにはブルジョア思想に反対することが含まれる。もう一つは整頓・改革で、それにも二つの路線の闘争が含まれる。ー主観主義、官僚主義、セクト主義はブルジョア階級のしろものである。わが党内にはこの三つのものが存在するが、その付けはブルジョア階級にまわすべきである。百年、二百年後も、そうすることができるだろうか。そのころになれば、たぶん、一そうするわけにはいかないだろう。そのころには、官僚主義、主観主義はあるかどうか。やはり、あるだろうが、その付けは立ちおくれという帳簿に付けるれる。社会には、つねに左派、中間派、右派があり、つねに先進的な者、中間的な者、立ちおくれた者がいる。そのときになって官僚主義、主観主義を犯せば、その人は立ちおくれているということになる。  整風運動は来年の五月一日までやるから、まだだいぶ時間がある。五月一日以後は、またすこし緩和させる必要があるだろうか。その必要はあるとおもう。緩和させることは右よりと言えるだろうか。右よりとは言えないとおもう。これを会議にたとえてみると、昼夜の別なく会議をひらき、たてつづけに半年もひらいたとすれば、大部分の人が姿を消してしまうだろう。したがって、仕事は状況にもとづいて、ときには緊張し、ときにはのびやかにやらなければならない。昨年、われわれはあれほど大きな勝利をおさめたため、人様が心服し、ドラや太鼓をうち鳴らした。そのとき、すこしも緩和させないとしたら、その理由は不十分で、言い訳が立たないのである。われわれは所有制の問題が基本的に解決されたとは言っているが、完全に解決されたとは言っていない。階級闘争はまだ消失していないのだ。だから、それは原則的な譲歩ではなく、状況の必要におうじてすこし緩和させたのである。  整風は来年の五月一日までやるが、来年の後半にはもうやらなくてもいいだろう。農村では、来年の後半に雑風と弁論をもういちどやるかどうか、これはそのときにその必要があるかどうかをみて、来年になってから討議する。再来年は一度やらなくてはならない。再来年もやらず、数年やらないとしたら、例のふるい右派、新しい右派、いま出てきている右派がうごめき出すだろうし、それに一部の右より中間分子、中間派、はては一部の左派までが変わってくるだろう。はの中には、こういうおかしな人間がいるのだ。気をゆるめさえすれば、それもかなりのあいだゆるめているうちに、右よりの空気がうまれ、よくない論議や右派的な言論が出てくる。われわれの軍隊でも、三六規律・八項注意についての教育はつねにやらなくてはならない。数ヵ月でもやらないでいると、もうたるんでくる。一年に何回か士気をふるいたたせなくてはならない。新兵が入隊してきたら、教育しなくてはならない。古参の兵士やふるい幹部にしても、整風をやらないかぎり、思想が変わってくる。  ここでついでに、われわれとソ連との意見の食い違いについてすこしのべてみよう。まず、スターリン問題でわれわれはフルシチョフと矛盾がある。かれはスターリンをあんなにこきおろしたが、われわれは賛成しない。あまりにもみにくい姿に仕立てあげてしまったからである。これはもうソ連一国の問題ではなく、各国の問題である。わが天安門の前にはスターリンの肖像がかかげてあるが、それは全世界の勤労人民の意志にかなうもので、われわれとフルシチョフとの基本的な食い違いをしめしている。スターリンその人にたいする評価も、七分、三分でなくてはならない。つまり、スターリンの功績は七分、誤りは三分と見るのである。これも正確とはかぎらず、誤りはわずか二分かもしれないし、わずか一分かもしれない、あるいはもうすこし多いのかもしれない。いずれにしても、スターリンは功績が主要なもので、欠点や誤りは副次的なものである。この点、われわれはフルシチョフと意見がちがう。  それから、平和移行の問題についても、われわれはフルシチョフらと意見がちがう。われわれは、どの国のプロレタリア政党であれ、一に平和、二に戦争というニヵ条がなくてはならない、と考える。第一に、共産党は、レーニンが二月革命から十月革命までの時期にうち出したスローガンに学び、支配階級に平和的転化を要求する。われわれも、蒋介石に和平交渉の問題を提起したことがある。このスローガンは、ブルジョア階級をまえにし、敵をまえにしては、防御的なスローガンであって、われわれが戦争を求めず、平和を求めていることをしめしており、大衆を獲得するのに都合がよい。これは主動的なスローガンであり、戦術的性格のスローガンである。しかし、ブルジョア階級はみずからすすんで権力をひき渡すはずがなく、暴力をつかうにきまっている。そこで、第二には、向こうが戦争をやろうとし、先に銃をぶっばなしてくるなら、こちらも応戦するよりほかはない。武力で権力を奪取する――これは戦略的スローガンである。是が非でも平和移行でいくというのなら、社会党と区別がつかない。日本社会党がそれで、かれらには、永遠に暴力をつかわないという一ヵ条しかない。全世界の社会党はみなそうである。総じて、プロレタリア政党には、やはり二ヵ条がなくてはならない。君子は口では争うが手は出さない、これが第一、だが第二に、小人が手を出すなら、こちらさまも手を出す、ということである。このような提起のしかたをすれば、弊害がなく、手抜かりがない。そうでなければ、だめである。いま一部の国の党、たとえばイギリス共産党は、平和移行のスローガンしか提起していない。われわれはイギリスの党の指導者と語りあったが、どうしても話が通じない。当然のことながら、かれらはおごり高ぶっており、平和移行がどうしてフルシチョフの提起と言えるのか、それは自分たちがとっくにうち出していたものだ、などと言っている。  このほか、百花斉放、百家争鳴の方針についても、ソ連の同志は理解していない。われわれがとなえているのは、社会主義の範囲内の、人民の内部での百花斉放、百家争鳴であって、反革命は含まれてはいない。もちろん、人民の内部も分化するものであって、一部の者は敵に変わる。たとえば右派のばあい、以前は人民であった。いま、この連中は人民の要素が三分の一、反革命の要素が三分の二と、わたしは見ている。かれらの選挙権を剥奪《はくだつ》するかどうか。法律にもとづいて処罰し、労働改造をさせる必要があるごくわずかの者は、選挙権を剥奪すべきであるが、それ以外は一般に剥奪しないほうがよい。人によっては、政治協商会議の委員をやらせてもよい。いずれにせよ、政治協商会議は千人ぐらいあってもかまわないのだ。右派は、形式的にはまだ人民の内部にいるが、実際には敵である。かれらは社会主義に反対し、共産党の指導に反対し、プロレタリア階級独裁に反対しているのだから、かれらは敵であり、われわれとかれらとの矛盾は敵味方の矛盾である――われわれはこのことを公然と言明する。要するに、六ヵ条の基準にあっていないのだ。それは毒草である。人民の内部には、いつでもいくらかは毒草が出てくるものである。  最後の点、気力をふるいおこし、骨身を削って学習すること。骨身を削るとは、一つには骨であり、一つには身であり、一つには削ることである。かならず気力をふるいおこし、骨身を削らなくてはならない。いま、われわれの多くの同志は骨身を削っていない。一部の同志は、仕事以外のあまった精力を主としてトランプ、マージャン、ダンスといったものにそそいでいるが、これではよくないとおもう。仕草以外のあまった精力は上として学習にそそぎ、学習の習慣をつけるべきである。では、なにを学習するのか。一つはマルクス・レーニン主義、もう一つは、技術科学、さらにもう一つは自然科学である。それから文学、主として文芸理論も、指導的幹部はすこしわかっているべきである。そのほか、新聞学、教育学など、こうした学問もすこしはわかっていなくてはならない。要するに、学問はひじょうに多いのだ、そのあらましをすこしは心得ておかなくてはならない。われわれはこれらの事を指導しなくてはならないからである。われわれのような者のことをなに「家《か》」というのか。政治家というのである。これらのことがわかりもせず、指導もしないということが、どうして許されるだろうか。どの省にも新聞はあるが、以前はその指導に力をいれなかった。また文芸雑誌や文芸団体もあるが、以前はやはりその指導に力をいれなかった。それから、統一戦線や民主政党の指導にも力をいれなかったし、教育の指導にも力をいれなかった。これらの指導に力をいれなかったので、その結果はどうか、まさにこれらの分野で造反がおきたのである。ところが、いったんその指導に力をいれると、数ヵ月で事態は一変した。羅隆基は、プロレタリア階級の小知識分子がどうして小ブルジョア階級の大知識分子を指導できるか、と言った。かれのこの言い草は間違っている。かれは小ブルジョア階級だと自称しているが、実はブルジョア階級である。プロレタリア階級の「小知識分子」こそが、ブルジョア階級の大知識分子を指導するのだ。プロレタリア階級には、それに奉仕する一群の知識分子がいる。その最初の一人がマルクス、次がエンゲルス、レーニン、スターリン、その次がわれわれのような者で、このほかにもまだ多くの人がいる。プロレタリア階級はもっとも先進的な階級で、全世界の革命を指導するのである。

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